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2004.11.10

軽井沢に住むことと暮らすことの違い。

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引っ越してきて、はや半年。あらためて、この半年振り返ると、いろんなことがわかった気がする。
10代の頃に親に連れられてきたのに始まり、自分でこの地に住み込みで働いたり、観光で通ったり。気がつけばこ20年以上、ここに通ってきたのだけれど、この地で暮らし始めた半年で、この20年の通ってたことなんて刺身のつま程度のものでしかなかったことが、よくわかった。やっぱり、密着してみないと見えないことは多いのだ。店の情報とか、抜け道とか、そんなガイドブック的な知識をしたり顔で話していた自分が恥ずかしい(-_-;

半年たって、一番感じているのは『軽井沢に移り住む人』と『軽井沢で暮らしている人』のギャップだ。
思えば今年の春に、こちらに移住する旨を公表したおり、軽井沢別荘歴40年以上の某氏から散々聞かされたのが、このことだったのだなと。家があって、お金さえあればこの土地に住むことは誰でもできる。でも、それは住んでいるだけであって暮らしているのではない。暮らすということは、この街の生活様式を受け入れることだ。都会の生活様式の延長や都会視点の憧れ的スローライフ生活は、地元の生活様式とはかけ離れていて滑稽に見えてしまった。それは、たとえるなら、毎晩庭でBBQするような滑稽さだ。

私たち夫婦は、この地にエトランゼとして住むのではなく暮らしたいと思ったときから、たとえ面倒であろうとも、積極的に地元の人たちとコミュニケーションをとることを求めた。拙宅の大家さん地区の班長さん、町役場に勤めるご近所の若い夫婦、地元では知らない人がいない老舗スポーツ店の店主、旧軽井沢の老舗の家具店の跡取り、油井のはずれに住む農家の人、美容院の店長とその店で働くインターンの青年。そのほかにも、中国から日本に留学したあと、御代田の企業に就職した中国の人や日本人に嫁いだ南国の女性といった本当のエトランゼたちにも会った。また、自分と同じように都会からこの地に移り住んで暮らす人とも、何人か知り合った。

そんな、人たちから、いろんな話を聞き、いろんな話をしておぼろげながら見えたのが、『自分たちが軽井沢に暮らすというはどういうことか』ということ。人それぞれで暮らし向きはちがうから、あくまで私たち夫婦が暮らすということでしかないのだけれども、地元の産業や人々とどのようにかかわって、どのように折り合っていくべきか、ぼんやりとだけどフォーカスがあってきた気がしている。もちろん、まだ、これから過酷な冬を乗り切る試練や、地元に対して税金以外に貢献できることを見つけたりするという課題は残っているけれど、来年の夏になるころには、そのフォーカスはかなり絞り込めるのじゃないかなと、思う次第。

これらのほかにも、軽井沢とその周囲の町(御代田、小諸、佐久)の確執や価値観の違いもかなり感じているのだけれども、それについては、もうちょっと自分の中で整理がついてから話そうと思う。

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コメント

ta_tsuさん、随分とご無沙汰していました。色々ありまして、久々にここを訪れて読ませていただきました。
 ご存知の通り、私は元々が中途半端な田舎に住んでいるため、ta_tsuさんがたの自然の中での暮らしに憧れる?思いというものが、今ひとつピンと来ませんでした。幼いころは、それこそ山へ川への冒険三昧でしたから・・自然が、遊び道具や場所を無言で提供してくれるところに当たり前に暮らしていました。それより、近隣の街の「何でも近くで手に入る(文明・科学のもたらす物が)」事への、漠然とした憧れがありました。
 自分が成長するのにあわせ、地域も発展衰退を繰り返しながら現在に至り、学生時代は都会と言われる所に4年間一人暮らしをし、周囲の変わりようを自分なりに見てきました。
 僕の住む土地は、かつてに比べれば見違えるようですが、まだまだ自然のものはいたるところに存在し、その気になれば、いくらでも遊び場にする事が出来ます。ところが、近頃の子供たちは外では遊びませんね。デジタル系玩具の発達や、彼らを育てる親たちのものの考え方、苦労もせずに何でも手に入る・与える環境などなどが、そうさせているんだとは思いますが・・・。
 軽井沢という地名を聞いたとき、僕にはリゾート地・避暑地のイメージ以外は浮かんで来ませんが、ta__tsuさんをはじめとする方々の意見を聞いて、外様の人間の溶け込みにくさというものは「何処でも同じなんだな」と感じました。僕も現在在住県の第2都市で5歳まで住んだ後、母親の実家近くの今の地に来た為、当時父親が溶け込むのに苦労をしたという話を思い出しましたよ。でも、永住されるなら、どのような形にせよ変に気張らずに住まれれば良いと思います。それは地域へのかかわり方とかが、どうのこうのではなくて・・・

 皆さんとの話とはずれるかも知れないですが、都会で生まれ育っていない者の一独り言です。
 

投稿: MIYA | 2004.11.21 17:02

こんにちは。関心空間から追っかけてきました。amyと申します!
たまに訪問させていただいては、楽しく読んでます!

ta_tsuさんのこのお話は以前から聞いてみたいと思っていましたよ!
私もほんの数ヶ月だけですが、住み込みバイトをして、
軽井沢という町の特殊な雰囲気を肌で感じ、
コミュニティが他の町と全然違う、変だ!という印象を受けました。
土着の人と別荘住まいの人との落差がものすごく激しい。

実際に住んでいる方々はどういう思いで住んでいるのかとても興味があります。
私が接触したのは、地元の数人の「佐藤さん」と、
住み込みながら、そのまま移り住んだという人たちしか、
知らないので・・・まだまだナゾな部分が多いです。

私が住む中信地区にも「安曇野」という観光地、別荘地があり、
東京から移り住む人も多いみたいですが、私自身は
移住組と土着組との交流や地域づくりをどうしているかなど、
知らないのでお恥しいところです。コレを機に勉強します。

さて、率直な感想ですが、ta_tsuさんの心がけや、思いとか読んで、
とても嬉しく思いました。長野県民のひとりとして、
「まあこんな閉鎖的な風土のところへ来て下さって、
真面目に地域に溶け込もうという姿勢に感謝」といった感じです。

自分自身ひよっこなので、地域行事に参加する場面はほとんどありません。
これも、また今後の課題といったところでしょうか。

投稿: amy | 2004.11.14 14:00

軽井沢って一見したところ田舎にしちゃ豊に見えるんで、近隣の市町村から羨ましがられますがそれは東京の植民地だからであり功罪両面があると思います。GDPの多くを夏場シーズンに稼ぎ出し、最近ではアウトレット等地元とは関係ない経済構造で稼ぐのは雇用機会の提供という意味では貢献してると思いますが、まさしく植民地経営なのでノウハウとして地元に何が蓄積されるのか?という点で疑問が残ります。

ネイティブな地元町民のみなさんは町に何を望んでいるのか?
お客さんとしての別荘族は何を軽井沢に期待しているのか?

新たに軽井沢に移住される方々はネイティブを目指すのか?お客さんのまま東京租界に生きるのか?あるいは両者の仲介者として生きる道を模索するのか?を問われるのだと思います。

投稿: おやじ | 2004.11.14 10:52

Timさん。
軽井沢での今の私も同じようなもんです。週末しか昼間はいませんからね(笑)。
私は、そこから一歩踏み出したいんですよね。
やっぱり欲深いのか・・・・。

>学校時代から社会人になって、そして結婚してからも同じ家で暮らしてきました。

それは、私と真逆な生き方ですね。
私は、引越し大好きというわけじゃないですけど、仕事と関係なく(転勤・転職じゃなく)、自分の気持ちだけで、結婚前に4度、結婚後に1度、引越してます。もっとも、地域は横浜のままでしたけど(笑)。軽井沢でも、すくなくとも後1回は引っ越すでしょう。

この『ファンタジージョブ占い』のとおり
http://www.kiss.ac/~saga/s_cgi/uranai/index.html
「航海士」な人生なんだといまさら痛感してます。

投稿: ta_tsu | 2004.11.11 11:24

学校時代から社会人になって、そして結婚してからも同じ家で暮らしてきました。

現在、地域の人との関わりは回覧板をまわしたり、ゴミ集積所の掃除当番の打ち合わせ程度で、それもほとんど家内の役割となっていて、私は近所の人と朝晩の挨拶を交わすのがせいぜいです。

私のコミュニティーは地域ではなく、学生時代の仲間や、職場の仲間や、趣味の仲間であったりします。しかし、それは限られた範囲の小さなグループで毎日機能しているわけではありません。

軽井沢の週末生活の方がはるかにましです。
隣のペンションのマスターと庭先で立ち話をし、時にはお茶に呼ばれて家に上がりこむこともあります。
防犯管理人のお宅に行って軽井沢のよもやま話を聞かせてもらうこともあります。

小屋にいては自宅では味わえない自然に触れ、ガーデニング、建物のメンテナンス、木工作業、5台の自転車のメンテナンス、野草や風景の写真撮影、読書などを行いながら軽井沢で週末生活をすることの至福を味わっています。

投稿: Tim Gardner | 2004.11.11 11:16

沓掛温泉さん。とてもいい話だと思います。
私がここに移り住むことにしたのも、ちょっと書いたとおり子供の頃に東北の地方都市で暮らした原体験があります。子供だったから、大人の記憶よりも色も匂いも、なにもかも自分の記憶に残っていて、本当なら、あの東北の街に住みたいのが、勤めや生活を考えたときに、現実的に不可能だからかもしれません。似たような暮らしができる場所を無意識で探し、結果としてこの地を選んだんでしまったかもしれないです。

誤解がないようにと思うので、改めて書き連ねますけれど、私は、週末だけカンドハウスとして軽井沢に過ごす人たちを否定するつもりはないということです。別荘に暮らす人はその人のライフスタイルとして、それが幸せであれば、それでいいと思いますよ。自分もかつてはそうでしたから。

さらには、たぶん同じ気持ちですが、私も東京生まれの横浜育ちでまったく郷里というのものが存在しません。父の実家は表参道にあり、これも叔母が晩年一人で暮らしていたのですが、去年の春に他界し、親族協議の結果この10月に売却しました。

だからというわけではないのですけど、自分の子供たちに、郷里をつくってやりたいというのが、私たち夫婦の願いでもあります。だから、地元への暮らしの執着が強いのかもしれません。

投稿: ta_tsu  | 2004.11.10 22:48

ta_tsuサン、チョット別の視点です。私は夏軽井沢へ来るようになってから40年余りになります。母が夏になると体調をくずし、医者が父を説得して、夏の間転地させなさい、となり涼しい軽井沢へ来ることになりました。母は怖がりで高校生の私に用心棒に来い、と命じました。旧道銀座の一本裏の道に面した古い小屋を買い、手を入れました。

私は結婚して愛知県に赴任して、夏に一回ニ三日来られるかどうか、と言う状態でした。そうそう、女房の親の小屋が沓掛にあり、森の中の小屋と言う感じで、車があれば、こっちの方が良い、となりました。

その後私の母は私の姉、その子、私の姪と甥を傍に侍らせて、涼しい夏、時々霧に巻かれる湿った旧道の夏を楽しんでいました。

その母も十年近く前に他界し、相続に話があり、姉は旧道の小屋は関心ない、とある日明言しました。・・・が、すぐ翌日だかに、欲しい、必要だと前言を翻しました。それを主張したのは姪でした。彼女にとってお婆ちゃんと過ごした旧道近辺の夏、あの小屋の周りの景色と共にこれから先も他人に渡したくない、と言うハッキリした気持ちでした。

私はこの事にとても感動して、私共の孫を出来るだけ連れて来て、春夏秋冬の面白さを彼等の脳裏に刷り込みたいと企んでいます。都会に生まれ育つと郷里がないのですね。退職した身ではコミュニティに溶け込むことはもうないでしょう。でも、あそこの森、あそこの景色、花々、草木、等などは私にとっても忘れられない記憶となり始めています。

40年余りを書いて長くなりました。

投稿: 沓掛温泉 | 2004.11.10 17:57

Timさん、始めまして。
沓掛温泉さん繋がりでWEBは何度か拝見させていただいてます。よろしくお願いします。

この土地に暮らすか住むかは、この土地とのかかわりを自分でどうするかって個人の嗜好の問題だと思ってます。都会的田舎生活が私に滑稽に見えたの同じように、エトランゼが地元にはいろうとするが、逆に滑稽に見えてるでしょうし(笑)

ホテルの従業員ってのは、まさに自分の若い頃の話とかぶります。でも私の経験は逆で、従業員としてこの地に住んだおかげで、いろんな良さがわかったというのもあります。

東北の田舎町にいたこともあるんですが、この土地の地元の人たちは、東北の街にくらべれば、はるかになじみやすい人たちだと思ってます。それは、もともとが入植者がいろんな土地から集まってできた町だからだという話も聞いてさもありなんと、納得している次第。

投稿: ta_tsu  | 2004.11.10 16:21

はじめまして。
初めて投稿させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

○○ホテルに客として泊まるのはいいが、従業員となって働くと見えなくていいものが見えて決していいものではない、と軽井沢定住をホテル従業員にたとえて言ってくださった方がいました。

小生も軽井沢週末暮らしを始めて35年になりますが、依然としてホテルの常連客のようなものです。
軽井沢については自分の小屋の生活と夏の涼しさで十分満足し、それ以上いいものに出会えれば儲けものと思っています。

長所短所いろいろあろうかと思いますが、今のところ、美味しいところ取りの軽井沢週末生活を送っています。

投稿: Tim Gardner | 2004.11.10 14:21

地元の人のコミュニティに加わるかどうかは、実際うちも良くわかりません(笑)。入れてもらえるかもわからないですし。でも、税金を払っている以上、自分が暮らす場所のなんらかに参加したいなという希望を持っています。

といっても、私とは年齢や世代の違いを考えれば、hisapさんは、今の距離感で気持ちよいところが見つかっているわけだし、それはそれで素敵だしうらやましいです。

仮に私のような人生の半ばを超えた曲者(笑)を地場産業で雇っていただける機会があれば、それはそれで、またかかわりかたを換えることになるでしょうし(笑)

これからもよろしくお願いしますね。

投稿: ta_tsu  | 2004.11.10 11:35

tatsuさんがおっしゃるようにギャップは大きいですよね。「避暑地軽井沢に移り住んできた人」と「先祖代々軽井沢に暮らしている人」の差だと思いますが。
うちの場合は会社がここなんで、地元コミュニティの境界があいまいになってる気がします。会社のコミュニティが「生活している場所」としてのコミュニティにも重なってくるので。
おそらく今後も積極的に「先祖代々の..」コミュニティに参加していくことはないと思います。良いことじゃないのかもしれないけど。

投稿: hisap | 2004.11.10 11:24

今の私には、ここがファーストハウスです。この冬を家族ですごしてみて、家族全員がこの地で暮らしていくことを楽しめるのなら、土地を買い、家をたてて『終の棲家』にしたく思ってます。

この地を選んだ一番の理由は、やっぱり子供たちの笑顔ですね。釣りに向かう川でどろんこになってハヤを取っている子供たちを見たときに、やっぱり都会じゃなくて、こういう場所で土のまみれて子供を遊ばしたいと思いましたし。親が管理して公園にいき、子供が遊ぶこと以前に公園での親同志の関係が優先されてしまうような都会の現状は、ナンセンスだと思っていましたから。

といって、いつ授かるのかはまったく不明ですが(苦笑)

10年後にこの地に残れていて、この土地から与えられるだけでなく、土地に与えることのできる仕事ができていればいいなと思っていますが、はてさて、何ができるのかは、いまだ見当もついてません。ま、あせらず答えをみつけられればと思ってます。

投稿: ta_tsu  | 2004.11.10 09:50

ta_tsuサン、

含蓄のあるお話ですね。ta_tsu サンはファーストハウスですか?お子様は?子供が出来て、小学校へ行くようになると、このようなページを続けられるのかな。

私の場合はセカンドでご隠居ですが年間百日が目標です。越えたり越えなかったり。このパターンには軽井沢は一番暮らし易い所です。町もお陰で?債務超過にはなっていないのですから・・・。

今町の活力源はアウトレットのように思われていますが、建物もああした仕掛け自体も10年単位のものと聞いています。次の10年がどうなるか?ta_tsuサンもどうなっているか?私は生きているか?・・・

投稿: 沓掛温泉 | 2004.11.10 09:10

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